岡山平野を見下ろす交通の要衝・岡山城誕生
謀殺や下剋上のイメージを持つ宇喜多直家は、これまで「戦国の三悪人」とも呼ばれるほど悪名高き人物。
実際はどのような人物だったのでしょうか。直家・秀家親子について、岡山城学芸員の原田莉沙子さんに話を聞きました。
原田さんは「中世の岡山は、有力領主たちが各々の領地拡大を目指して戦いを繰り広げていました。その中で、備前を統一したのが直家。水運に有利な旭川や岡山平野に目をつけて、地盤の良い丘(石山の城・岡山城の前身)に城を築きました。直家は西国街道(山陽道)を城下に引き込み、商人を呼び寄せ、城下町の基盤も作るなど先見の明があったことが分かります」と話します。
直家の死後、家督を継いだ秀家は、石山の城から現在の場所に城を移設。三重六層の天守がそびえる近世城郭・岡山城が誕生しました。
岡山城は「石垣の博物館」と呼ばれるほど、戦国末期から江戸時代にかけて、3代にわたる城主が築いた、それぞれの石垣の特徴をみることができます。写真は、左側が初代・宇喜多秀家の時代、右側が小早川秀秋の時代の石垣です。
「空間を広げるために、宇喜多の石垣を生かしながら増築していることが分かります。宇喜多の石垣は、加工のない自然石を積み上げていますが、これは職人の勘や経験値が必要とされます」と原田さん。
秀家は、27歳と若くして五大老の一人に選ばれ、47万石を領する大大名になりました。秀吉最愛の養女・豪姫と縁組したことからも、秀吉の秀家への期待の高さが感じられます。
岡山城内地下1階の土産店「金烏城商店」では、今年11月から秀家関連グッズが登場しました。その後の悲劇的な運命が、歴女、歴男のハートに刺さるようで、「缶バッジやアクリルフィギュアなど、お土産によく購入されていますよ」とスタッフ。
缶バッジ(山陽印刷・各495円)や、アクリルフィギュア(山陽印刷・990円)などを販売中です。
そのほか、歴代城主三家の饅頭がセットになった「岡山城 城普請三氏」(浦志満本舗・3個入り540円)も販売しています。宇喜多、小早川、池田家それぞれの家紋の刻印入りです。生地も中身も三者三様なので、食べ比べてください。
豊臣秀吉という後楯を得て戦乱の世で活躍し、生涯秀吉を裏切ることなく生きた秀家。関ヶ原の戦いで敗れた後も、豪姫との夫婦愛を心の支えに、八丈島で83歳まで力強く生き延びた人間力に、魅了されること間違いなしです。
備前の商人が集結した城下町・表町商店街
直家、秀家親子が力を入れたことの一つが、城下町の整備でした。
「直家は、それまで岡山城の北側を通っていた西国街道を、城の南側に引き込み、城下町の発展を図りました。吉井川流域で栄えた備前福岡の商人を呼び寄せるなど、町の基盤作りに注力しました」と原田さん。
この頃にできた商人町・三之曲輪が現在の表町商店街にあたります。その後、表町周辺は、岡山の政治、経済、文化の中心地として栄えていきます。
岡山城横にある石山公園に「知名由来碑案内図」がありました。
表町商店街を構成する上之町、中之町、下之町、栄町、紙屋町、千日前、西大寺町、新西大寺町の8商店街は「表八カ町」と呼ばれ、町名は途絶えましたが、商店街名として残り、今でも親しまれています。
また、武士と商人らの棲み分けが行われた様子や、支流を統合し旭川を天然の堀とし、城の守りを固めた様子など町の成り立ちを視覚的に見ることができます。
京橋朝市でお馴染みの京橋も城下町への入り口として、秀家によって現在の位置に架橋されたものです。
秀家・豪姫の夫婦愛を形にした「勝ち袋」
表町商店街で創業100年以上の仏具店「三香堂」は、戦国武将をイメージしたオリジナルの匂い袋「勝ち袋」を販売しています。
ラインアップは、人気武将と武将ゆかりの人物をイメージした香りで全18種類(1個880円)。
宇喜多直家、おふくのお方(直家の妻)、宇喜多秀家、豪姫の勝ち袋もあり、ファンが買い求めます。写真の「夫婦揃 勝ち袋」は1セット1980円です(秀家・豪姫のセット、直家・おふくのお方のセットの2種類)。
豪姫の勝ち袋は甘くて上品な香り。秀家は、爽やかさと気高さを感じる香りでした。勝ち袋は三香堂のほか、「金烏城商店」でも購入できます。
西軍が敗れて八丈島と金沢に離ればなれになった秀家と豪姫ですが、資料によると、豪姫の実家・前田家からは米や薬などの物資が秀家に送り続けられたことが分かっています。夫婦の絆の強さを感じるエピソードです。
「香木や漢方生薬にもなる香原料を調合して、それぞれの人物に合った香りを考えています。このほか、昨年の岡山城リニューアル時、歴代城主をイメージした『岡山城主香』や宇喜多家の夫婦をイメージした『夫婦香』の線香を作りました。宇喜多親子の人柄をより身近に感じてもらえたら嬉しいです」と三香堂代表取締役の森脇亮介さんは話します。「岡山城主香」と「夫婦香」は、金烏城商店で限定販売です。
秀吉も認めた酒「備前児島酒」を復元
秀吉が開いた茶会の席にも献上された「児島諸白(こじまもろはく)」。
老舗酒造店の宮下酒造は、この児島諸白を復元した純米吟醸酒「備前児島酒」(500ml・3300円)を製造・販売しています。
同社マーケティング部の狩山太郎さんに話を聞きました。
「もともとは、旭川の清水を使い現在の児島半島で製造されていたお酒で、京都で大変人気だったということです。酒造技術は不明ですが、残された文献を参考にしながら復元しました」。
「備前児島酒」は地元・雄町米100%を使用、特徴は麹割合33%と通常よりも高く、濃厚なリキュールのような甘みにあります。二段仕込みで程よい酸味もありリピーターも多く、幅広い年代のファンがいるそうです。
そのほか、あけぼの使用の純米吟醸酒「極聖 豪姫」(1430円)。元祖雄町米・高島雄町を使用した純米吟醸酒「極聖 宇喜多秀家」(1650円)も。秀家と豪姫のパッケージが華やかでお土産にも良さそうです。
水攻めの舞台となった備中高松城址
備中高松城址公園は、秀吉と、毛利方・清水宗治(むねはる)が壮絶な戦いを繰り広げた備中高松城の水攻めの舞台。秀吉の「中国大返し」の起点となった地としても知られています。
2023年6月には、公園内に「備中高松城址史料館」がオープン。出土品のほか、水攻めを時系列で紹介するパネルが展示されています。
周辺には、宗治の首塚や秀吉が陣を構えた石井山など史跡も。約400年前の地層から見つかった種から開花した宗治蓮も見どころの一つです(見頃は7月下旬〜8月上旬)。
父・直家の死後、秀吉の後楯を得た秀家は、備中高松城攻めで初陣を飾ったと言われています。「秀家は10歳程度。実際に戦ったのは叔父にあたる宇喜多忠家でした」と資料館の長田正則館長は話します。
籠城の末、宗治は味方兵の命と引き換えに自刃。その後の和睦交渉では、宗治の死が毛利方に有利に働いたといいます。
その武士としての誇り高い死に、秀吉も敵ながら敬意を表していたことが伺えます。また、地元では400年以上経った今も、命日の6月第一日曜日に『宗治祭』を行い供養しています。
公園前の「清鏡庵」では、昭和27年の創業当時から宗治にまつわる和菓子を販売しています(今は持ち帰りのみ)。
名物は、酒麹で作った薄皮の中にこし餡が詰まった酒饅頭・水攻饅頭(左)と、白と赤のこし餡の2種類がある宗治饅頭です(いずれも1個97円)。歴史好きにはたまらない配置図と備中高松の史跡が描かれた包装紙も要チェックです。
備中高松城址公園から徒歩すぐの恵雲山・星友寺は宇喜多直家を祀るため、家臣によって建立されました。「策略家として悪名高い直家ですが、家臣からは慕われた一面もあったのではないでしょうか」と長田さん。
岡山城学芸員の原田さんは「このほかにも宇喜多家の菩提寺・光珍寺(北区磨屋町)、岡山神社(北区石関町)、龍ノ口城跡(中区祇園)など宇喜多家にまつわるスポットが岡山市内には多数あります。2月14日には光珍寺にチョコレートを供えるファンもいらっしゃいます。宇喜多家の人々の生き様に想いを馳せながら、宇喜多家スポットをぜひ訪ねてみてください」と話します。