日本で初めて弥生時代前期の集落と水田が発見された津島遺跡~遺跡&スポーツミュージアム

日本で初めて弥生時代前期の集落と水田が発見された津島遺跡~遺跡&スポーツミュージアム
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歴史・文化

岡山県総合グラウンドに歴史的に貴重な遺跡があるのをご存知ですか。
津島遺跡は日本で初めて弥生時代前期の集落と水田が同時に見つかった遺跡として有名で、弥生時代の生活や稲作開始の実態を解明する重要な遺跡です。
1968年(昭和43年)に発見され、1971年(昭和46年)には国の史跡に指定され保存が決定。
2000年(平成12年)1月5日から12月27日の約1年間で発掘調査が行われました。
発掘された出土品が展示されている遺跡&スポーツミュージアムの全体構想は、岡山県出身のデザイナー水戸岡鋭治さんが手掛けています。
岡山の果物といえば桃。津島遺跡で卑弥呼と同じ時代の桃が大量に見つかった、興味深いエピソードについてもご紹介します。
岡山県総合グラウンド一帯に広がる津島遺跡。弥生時代の人々の暮らしや稲作の始まりに想いを馳せてみませんか。

掲載日:2024年06月10日

ライター:観光ライター 梅緒

津島遺跡とは

全国ではじめて弥生時代前期の田んぼと集落が同時に見つかった津島遺跡。
はじめの頃の弥生文化はおもに瀬戸内海経由で伝わって来たようで、当時の海に近い津島遺跡に根付きました。
驚くことに、最初から完成された技術で水田が伝わったことが発掘調査の成果から明らかにされています。
日本で水田稲作が始まったころの、水田や人々の暮らしがわかる重要な遺跡です。

水田のレプリカです。一つひとつの区画は小さく9~13㎡で、田んぼの中に水が保ち続けるよう意識されつくられています。
旭川の冷たい水がそのまま田んぼに流れ込まないよう、いったん水を貯める場所もつくったようです。
丘陵地に常に水がたまる状態の水田をいくつもつくり、水を水平にいきわたらせました。
長い水路を作り、水を引き込みながら田んぼをつくるのは大変な技術です。
優秀な指導者の存在と村全体の団結があって初めて成り立つと思います。

遺跡&スポーツミュージアム

遺跡&ミュージアムの入り口にあるのは発掘現場の展示です。
現在の地面から2mほど掘り下げ、弥生時代後期1800年前の遺跡が見つかった当時のようすを再現しています。
柱、壁、屋根、2mくらいの長さのでこぼこした板は「はしご」。地面より高いところで生活していた証明です。
シティライトスタジアム建設前に、地下から出土しました。

土層はぎ取り標本の展示です。津島遺跡を掘り進めて現れた地層に、接着剤を付けた布を貼り付けて採取したものです。
この地層からは津島遺跡の地下のようすがわかるとともに、岡山平野の歴史も紐解くことができます。
海だった岡山平野が旭川から流れてきた土砂で、だんだん浅くなり陸地化していきます。
陸地化が進み住みやすい環境が整うと、人々は稲作を始めました。
弥生時代前期の後に起こった洪水のようすや、再び弥生時代後期に人々の暮らしが始まるようすまで見ることができます。

これは桃核と言って桃の種です。津島遺跡発掘調査中に次から次へと出土し、合計2,415個発見されました。
全国でも3番目に多く、1番は同じ岡山県の上東遺跡9,608個、2番目が奈良県の纏向(まきむく)遺跡2,769個です。
2番目に多く桃核が見つかった奈良県の纏向遺跡は、邪馬台国畿内説の有力候補地です。
当時の桃は食用ではなく不老長寿や魔よけの呪力があるとされ、卑弥呼が特別な占いなどに使ったという説があります。
津島遺跡には纏向遺跡と同じくらい大きな力を持ち、卑弥呼のように桃を使い祭りごとを行う村があったのではないでしょうか。
岡山の果物といえば桃。卑弥呼と同じ時代の桃が津島遺跡から見つかるなんて感慨深いですね。

弥生時代後期に津島遺跡で出土した土器です。
写真右から「つぼ」、「かめ(なべ)」、「たかつき」。
つぼは、お水、お酒、穀物などの貯蔵に使い、穀物を貯蔵する際にはかごに入れて、ひもで吊るしネズミなどから守りました。
かめ(なべ)は煮炊き用で、ご飯を炊いた時にできる吹きこぼれの跡がついています。粘土ひもをらせん状に押さえて成型し内側をけずって厚みを2~3㎜に加工した、とても軽い土器です。
たかつきは、脚がついたお茶碗です。表面をへらなどで丁寧に磨いています。

デザイナー水戸岡鋭治さんが手がけた遺跡&スポーツミュージアムは全てが本物志向

遺跡&スポーツミュージアムは岡山県出身のデザイナー、水戸岡鋭治さんが手がけています。
水戸岡鋭治さんは、豪華寝台列車「ななつ星」や岡山市内を走る路面電車momoなどのデザインで有名。
中央にあるテーブルは、日本で一番大きな1枚板のテーブルです。
アフリカのカメルーンから取り寄せた「ブビンガ」という木で、別名「鉄の木」とも呼ばれており、固くて重いのが特徴です。
「桃太郎の机」と名付けられたこの大きなテーブルは、重さがなんと1.5トンもあります。

机と同じ「ブビンガ」てつくられたイスです。
重厚なデザインと背もたれの金具がおしゃれです。
こちらのイスもかなり重量があります。

テーブルをぐるりと囲んでいる暖簾は、い草で編んであります。
こちらの暖簾は、九州新幹線「つばめ」の化粧室で使われている暖簾と同じものです。
九州新幹線「つばめ」のデザインはもちろん水戸岡鋭治さんです。

床の石は鹿児島の郡山の石です。
薄い桃色の石がタイル状に加工され貼られています。

遺跡&スポーツミュージアムは津島遺跡の出土品を展示する場所であり、水戸岡鋭治さんの作品を見ることができる場所でもあります。

弥生時代のお米

弥生時代といえばお米作り。
黒米、赤米、2000年以上もお米が途切れない歴史があります。
中国大陸や朝鮮半島からお米が渡って来て日本に定着しました。
保存によく、軽い、カビに強いなど、稲は扱いも容易だったのでしょう。
津島遺跡でも毎年古代米を栽培しています。
古いお米の資質を持っている津島遺跡の古代米は、背が高いですが、倒れにくい性質をもっています。

石包丁と呼ばれる、収穫時に穂先だけを摘み取る道具です。
穴にひもを通し、指に掛けて持ちました。
当時は緩衝材をかませて、割れないように穴を開けたようです。
稲にはプラント・オパールと呼ばれるガラス質が含まており、穂先にあたる側の石包丁の刃は稲のガラス質で磨かれてつるつるになっているものもあります。

弥生時代前期の遺跡

津島遺跡で発見された弥生時代前期の遺跡は、見つかった場所の上に復元されています。
竪穴住居のかやぶき屋根は、雨水が下に垂れるように作られています。
地面を70cmほど掘り下げ、掘った土は家の周りに積んで水などの侵入を防ぐ仕組みです。
夏涼しくて、冬暖かい構造になっています。
中に入って竪穴住居のサイズを体感してみて下さいね。

こちらは高床倉庫と掘立柱建物です。
高床倉庫は稲を保管するために使われたものが多いですが、中には収穫のお祭りなどで使われたものも含まれているようです。
高くて狭い入り口は、中のものを盗られないように外からの侵入を防ぐ意味もありました。
建物を建てるための石の道具も色々ありますが、家を一軒建てるのも大変な労力だっでしょう。
丸太から板を切り出し、なめらかに整えるために何種類もの石器を使い分けていたようです。

岡山市内の身近な場所に、重要な遺跡がありました。
発掘が行われたのは、一部ですが岡山県総合グラウンド一帯の地中には弥生時代の遺跡が眠っています。
日本で初めて弥生時代前期の集落と稲作水田が発見された津島遺跡。
遺跡&ミュージアムのスタッフの方に前もって相談すれば、遺跡についての説明を聞くことができます。
津島遺跡に訪れて、弥生時代の暮らしや稲作のようすに触れてみませんか。

岡山市公式観光情報 OKAYAMA KANKO.net