日本遺産とは
「日本遺産(Japan Heritage)」は地域の歴史的魅力や特色を通じて我が国の文化・伝統を語るストーリーを「日本遺産(Japan Heritage)」として文化庁が認定するものです。
このたび「『桃太郎伝説』の生まれたまちおかやま~古代吉備の遺産が誘う鬼退治の物語」(岡山市、倉敷市、総社市、赤磐市)が日本遺産として選ばれました。
ストーリー
「桃太郎伝説」の生まれたまち おかやま
~古代吉備の遺産が誘う鬼退治の物語~
いにしえに吉備と呼ばれた岡山。この地には吉備津彦命による温羅と呼ばれた鬼を退治した伝説が語り継がれ、昔話桃太郎の原型になったとされています。伝説では、絶壁にそびえる古代山城は温羅の居城とされ、約1,800年前の巨大墓に立ち並ぶ巨石は命の楯となりました。戦いの後、勝利した命は巨大神殿に祀られ、敗れた温羅の首はその側に埋められ、この地で吉凶を占っています。
鬼退治伝説は古代吉備の繁栄と屈服の歴史を背景として生み出され、伝説の舞台となった吉備の多様な遺産は、今も訪れる人々を神秘的な物語へと誘ってくれます。
桃太郎伝説と古代吉備の国が
よくわかるデジタルブック
構成文化財
吉備津彦命を主祭神として祀る大社
吉備津神社
吉備津彦命を祀る神社で、鳥が翼を広げたように見える、比翼入母屋造の秀麗な本殿は、拝殿とともに国宝に指定されている。また本殿から南に約400m続く廻廊や南・北随神門、御釜殿、木造獅子・狛犬は国の重要文化財に指定されている。
吉備津神社に残る
温羅退治の言い伝えと神事
温羅の居城とされる古代山城
鬼ノ城
温羅伝説の中では、温羅の居城と伝えられているが、実は城内面積約30haに及ぶ巨大な古代山城。門や角楼などが復元されている。日本100名城のひとつに選定されている。
鬼ノ城周辺の見どころ
あさのあつこさんのナレーションでご紹介
空から見る桃太郎伝説ゆかりの地
あさのあつこさん執筆の短編「温羅と阿曾媛」の物語の舞台にもなっている「鬼ノ城」と「吉備津神社」。空からの映像も含めた紹介動画をあさのあつこさんのナレーションでお楽しみいただけます。
その他の日本遺産ストーリー構成文化財
吉備津彦神社
吉備津彦命を祀る神社で、吉備国が備前・備中・備後に分割された際に備前一宮として建てられたとされる。境内の温羅神社に温羅も祀られている。
造山古墳
第一、二、三、四、五、六古墳
吉備勢力の強大さを伝える巨大前方後円墳。5世紀前半に造営され、規模は全長約350mと全国第4位で、吉備に巨大勢力があったことを伝える。周辺には朝鮮半島と関係の深い遺物が出土した第一古墳(榊山古墳)や、直弧文と呼ばれる精緻な文様で飾られた石障のある第五古墳(千足古墳)など、6つの陪塚がある。鬼ノ城からも見下ろすことができる。
吉備の中山
『古今和歌集』や『枕草子』など古くからその名が知られた名山。温羅との戦いで吉備津彦命が布陣したと伝承されている。山裾には吉備津神社や吉備津彦神社が鎮座し、山頂南側には吉備津彦命の墓とされる全長約105mの中山茶臼山古墳がある。
矢喰宮
温羅伝説の中で、吉備津彦命と温羅の射た矢が空中で衝突し、落下した場所に祀られた神社。神社の境内には温羅が投げたと伝えられる巨石も残されている。
牟佐大塚古墳
吉備三巨石墳の一つ。6世紀末ごろに造られた大形の円墳で、横穴式石室も全長18.0mと巨大である。
吉備津彦命の子孫とされる上道氏の墓と考えられている。
吉備津宮勧進帳
1583年に成立した吉備津神社の記録で、吉備津彦命による鬼退治の記載がある。温羅伝説は600年以上前には成立していたとされ、年号がはっきりした記録として最も古いのがこの資料である。
備中国大吉備津宮略記
江戸時代後期に成立した吉備津神社の由来が記されている文書で、「温羅」の名が登場するとともに、温羅は後に吉備津彦命の家臣となったと記されている。
吉備津神社境内古図
鬼城山、楯築山、鯉喰宮、血吸川、矢喰合宮といった温羅伝説にまつわる場所も描かれた吉備津神社の境内図。吉備津神社が伝説ゆかりの地を重視していたことが分かる。
吉備津神社の鬼面
額に差し込まれた角は失われているが、丸い目や出っ歯、大きな鼻はどこかユーモラスであり、温羅伝説に登場する鬼の温羅の表情を想像させる。16世紀ごろの作と考えられる。
特殊器台
吉備文化の独自性を象徴する考古資料で、弥生時代後期に吉備で葬送の祭りに使用された土器。温羅伝説ゆかりの楯築遺跡や鯉喰神社でも出土している。また、奈良県の箸墓古墳でも出土するほか、円筒埴輪の祖型ともされる。
上東遺跡出土の桃の種
温羅伝説ゆかりの地に近接する、弥生時代の上東遺跡から出土した9,606個の桃の種。一つの遺構から出土した数では全国的にも群を抜いて多く、古くから岡山と桃のつながりが深かったことをうかがわせる。
楯築遺跡
弥生時代後期に築かれた墳丘墓で、その大きさは全国最大級である。頂に立つ5個の巨石は、温羅伝説の中で吉備津彦命が温羅との戦いで築いた楯の跡と伝えられている。
箭田大塚古墳
吉備三巨石墳の一つ。直径約50mの円墳で、全長19.1mの巨大な横穴式石室をもつ。吉備津彦命の弟の子孫とされる下道氏の墓と考えられている。
楯築神社の旋帯文石
吉備津彦命が温羅との戦いに使った空飛ぶ乗り物とも伝えられている。楯築遺跡の上に鎮座する楯築神社の御神体で、「弧帯文石」とも呼ばれる。全面に帯状の弧を描く文様が刻まれ、正面には人の顔が造り出されている。弥生時代の石造彫刻として最も優れたものである。
鯉喰神社(鯉喰神社遺跡)
鯉に化けて逃げる温羅を、吉備津彦命が鵜になり捕まえた場所に祀られた神社。実は楯築遺跡と同じく弥生時代末期の墳丘墓で、弧帯文石の類品や特殊器台が見つかっている。
作山古墳 第一古墳
吉備勢力の強大さを伝える巨大前方後円墳。5世紀中頃に造営された全長約286mの巨大前方後円墳で、全国第10位の大きさである。鬼ノ城からも見下ろすことができる。
こうもり塚古墳
吉備三巨石墳の一つ。全長約100mの前方後円墳で、横穴式石室は全長約19.4mで吉備最大の石室を持ち、この地方を治めた勢力の巨大さを伝えてくれる。
両宮山古墳
吉備勢力の強大さを伝える巨大前方後円墳。5世紀後半に築かれ、墳長約206mで、吉備では造山古墳、作山古墳に次ぐ規模となっている。吉備では珍しく水濠に囲まれている。
白山神社の首塚
温羅との戦いに勝利した吉備津彦命が温羅の首をはね、串にさしてさらしたとされる場所。それが現在の岡山市北区首部の地名の由来とも言われている。
岡山の桃
古くから鬼は桃を恐れると言われており、桃太郎とのつながりも想像させる。岡山は、現在も日本有数の桃の産地で、桃の栽培に適した気候・風土の中で桃太郎伝説が育まれてきた。
きびだんご
桃太郎伝説の地・岡山を代表する銘菓。桃太郎が鬼退治の際に犬・猿・雉に与えた黍団子をモチーフとし、江戸時代には吉備津神社の門前で売られていた。「吉備」の地名も、「黍」に由来するとの説がある。