吉備津彦神社
大吉備津彦命(おおきびつひこのみこと)を御祭神とする神社です。大吉備津彦命は、大和朝廷の命により吉備の国を平定したといわれ、大吉備津彦命の屋敷跡にご社殿が建てられたのが神社の始まりとされています。夏至の日には朝日が鳥居の正面から昇ることから「朝日の宮」とも呼ばれています。
吉備津神社
吉備津神社は大吉備津彦大神(おおきびつひこのおおかみ)を主祭神とする大社で、本殿及び拝殿は「比翼入母屋造」という全国唯一の造りで、国宝に指定されています。また、御本殿から南の本宮社をつなぐ約400m続く廻廊(県指定文化財)や随神をお祀りする南・北随神門や御竈殿、木造獅子・狛犬は、国の重要文化財に指定されています。
造山古墳
造山古墳は、古代吉備王国の首長の墓といわれる県下最大、全国でも応神、仁徳、覆中に次ぐ4番目の規模を持つ全長約350mの大前方後円墳です。造営当時は日本一の規模で、その存在は畿内政権と肩を並べる古代吉備の勢力を物語っています。前方には径40mの円墳からは鏡、砥石、鈴、多量の鉄器などが出土し、一部が宮内庁に所蔵されています。
千足古墳
千足古墳は岡山市北区新庄下にある前方後円墳で、造山古墳の前方部前面に位置し、造山古墳の陪塚とされています。千足古墳は国指定史跡で後円部には、九州系の初期横穴式石室内に直弧文を彫刻した石障がおかれていたことで著名。古墳時代中期の吉備と九州の密接な関係を知ることができる重要な古墳です。
備中高松城址
かつて毛利氏の堅固な要塞だった備中高松城は、羽柴秀吉(豊臣秀吉)の参謀・黒田官兵衛の奇策「水攻め」にあい、城主・清水宗治の自刃とともに落城しました。現在は歴史公園として整備され、公園内の本丸跡には清水宗治の首塚があるほか、資料館には水攻めの資料などが展示されています。夏には花菖蒲や宗治蓮(むねはるはす)が咲き、来園者を楽しませています。
旧足守藩侍屋敷
白壁の長屋門と土塀に囲まれた家老杉原家旧宅。明治維新後急速に姿を消した武家屋敷ですが、それだけに保存状態の良いこの邸は、武家の生活様式を知る上で貴重な存在です。母屋は伝統的な武家書院造の構造を持ち、今日の和風住宅の原型とも言われています。
近水園
近水園は足守藩主木下家の庭園で、池庭は単純な地割がなされ、モミジやサクラ、エノキが池を囲み、池中に鶴島・亀島の二島を巧に配しています。そして、山のふもとから池面にのり出すように、吟風閣が建ち、水面に影を映しています。池畔にあるこの吟風閣の造りなど、地方まれな情緒をたたえており、吟風閣からの眺めが一番美しいとされます。
高嶋神社
児島湾に浮かぶ「高島」に鎮座する社。神武天皇が御東遷の砌(みぎり)、当地に行宮(あんぐう)を創設されたのにはじまると伝えられています。神社の秋祭りでは、豊作祈願をこめて、宮浦郷土芸能保存会により伝えられている獅子舞が奉納されます。
亀石神社
岡山市東区水門町、水門湾入り口に亀の形をした大きな岩があります。この亀石の周囲は3.5m角の玉垣で囲まれており、地元では亀石様として親しまれています。伝説では、神武天皇が東遷の時、亀に乗った神様が水門に水先案内をした。その亀が石となった、というお話です。毎年、旧暦6月15日には亀岩宮満潮祭神事が行われます。シャギリ船を巡航、賑やかな郷土のお祭りです。
安仁神社
西大寺一宮の宮城山(みやしろやま、別名、鶴山)にある神社で、もと国幣中社。主祭神は五瀬命(いつせのみこと)で、他に稲氷命(いなひのみこと)、御毛沼命(みけぬのみこと)を祀っています。社名の「安仁」は神武天皇の「兄」を仮名書きしたことに由来するといわれています。毎年7月11日には、無病息災を祈る「茅の輪くぐり」の行事が行われます。