古墳大好き中学生・はにお君と歩く岡山の古墳(操山古墳・前編)
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ハイキングやトレイルランニングで訪れる人が多い操山(みさおやま・岡山市中区)は、古墳ファンの間では「古墳の博物館」と呼ばれるほどバラエティ豊かな古墳の姿が見られる場所です。4世紀〜7世紀にかけて築かれた前方後円墳、円墳(えんぷん)、方墳(ほうふん)、があり、その数なんと約130基。年代、形状、埋葬施設が様々で、“古墳ビギナー”にとっては、古墳の違いを一度に見られるオススメのエリアです。今回は、古墳大好き中学生・板東郁仁さん(はにお君)に案内してもらって、操山の古墳群を前編、後編に分けて紹介します。
掲載日:2025年02月22日 最終更新日:2025/02/20
ライター:観光ライター 頼實
石室にずずいっと入って「古墳」体感
岡山県には11880基の古墳があり、数の多さは全国第5位の古墳王国です。
2023年5月に、岡山の古墳ガイドブック「岡山100名墳」を自費出版した中学2年生のはにお君。現在は、部活や塾の忙しい合間を縫って、操山の古墳を本にまとているところです。
標高169mの操山の東側には、円山、笠井山と低山が連なり、一帯に築かれた数々の古墳は操山古墳群(みさおやまこふんぐん)という呼び名で親しまれています。
「操山古墳群の魅力の一つは、実際に石室に入って見学できる古墳が多いところ。古墳にハマって巡り始めた頃、1日で15基ほど巡りました。道も整備されていて歩きやすいのでオススメです」と、はにお君は話します。
「操山古墳群は約130基と言われています。参考にしている『おかやま全県統合型GIS』に載っていない古墳を10基ほど見つけたので、その発見とともに、操山古墳群の魅力を紹介したいです」。
今回は、操山公園里山センターを出発して、萩の塚古墳、山頂の操山7号墳、旗振台古墳までを紹介します。
古墳を見学するときの注意点は、古墳や周辺のものを動かさない。虫対策として長袖長ズボン。石室に入る場合は、懐中電灯や軍手のご用意を。
古墳でお茶会!?
最初に向かったのは、山頂近くの萩の塚古墳(操山9号墳)です。
はにお君曰く「操山古墳あるある」で、萩の塚古墳は「左片袖式」の横穴式石室をもつ円墳。
左片袖式とは、玄室(被葬者が埋葬された部屋)から外側を見たとき、玄門(玄室と羨道が繋がる場所)の袖石が左側にあるタイプをそう呼ぶのだそう。他に、右片袖式、両袖式、無袖式があります。古墳鑑賞ポイントを一つ学びました。
この古墳には面白いエピソードがあります。
横穴式石室が早朝茶会の茶室として利用されていた時代があったそう。昭和14年から半世紀以上、「聖人弁護士」こと家本為一さんに賛同した「萩の塚衆」が茶会を開いていました。それを思わせる痕跡もみられます。まぐさ石(出入り口の水平の石)の外側には、最近まで、白ペンキで大きく「火の用心」と書いてあったそうです。
山頂の三角点も古墳の上に
操山山頂に行く途中で、ハイキング中のファミリーと出会いました。
「あまり知られていませんが、山頂にも7号墳という古墳があります」。三角点のすぐ横に、石がゴロゴロと埋まっている様子。板状の石材が組み合わされた「箱式石棺」というそうですが、古墳と知らなければ、地面に埋まったただの石と思い、通り過ぎてしまいそうです。
「古墳と言えば前方後円墳?」というファミリーからの問いかけに、「全国で見つかっている古墳の9割が、実は円墳。7号墳も円墳なんです」と、はにお君が解説してくれました。
古墳に興味を持つきっかけになる出会いになったかもしれません。
「吉備の穴海」を望む旗振台古墳
ふれあいの辻に一度戻り、続いて旗振台古墳(操山14号墳)へ向かいます。見晴らしの良い山の尾根にある古墳です。古墳が近づくと、一気に走り出していくはにお君。
旗振台古墳は、操山では珍しい方墳で、墳丘には竪穴式石室と粘土で棺を覆った粘土槨がありました。「7世紀ごろの方墳は蘇我氏との繋がりが強いと考えられます。古墳の形は、作られた時代や被葬者の身分などで決まったようです」と、はにお君。
旗振台とは、大阪の米相場を伝えるために旗を振って合図を送った場所と言うのが名前の由来で、古墳近くの旗振台展望所からは、児島湾や市街地が一望できます。
ここからは、旭川、百間川、吉井川が児島湾へと注ぐ岡山平野がよく見渡せ、「吉備の穴海」だった頃の古代吉備に思いを馳せることができます。
奥壁(おくへき)コレクション
もう一つ、古墳鑑賞ポイントとして教わったのが「奥壁(おくへき)」です。奥壁とは、石室の最も奥にある壁のこと。
天井石の隙間から石室に入り込んだはにお君に「奥壁はどうなっている?」と母・恭子さんが尋ねます。土砂が流入して奥まで見えない場合もありますが、奥壁に注目して見ていくと、多様性に富んだ古墳の姿が見えてきます。
こちらは、竪穴式石室の前方後円墳・金蔵山(かなくらやま)古墳(操山30号墳・詳細は後編で紹介します)です。
後円部墳頂のわずかな隙間からカメラを入れて撮影しました。内部を見て、煉瓦のように綺麗に石が積み上げられていることに驚きました。4世紀後半から5世紀初頭、古墳時代前期の築造とされています。
続いて、二股(ふたまた)古墳(操山24号墳・詳細は後編で紹介します)主室の奥壁。
大きな石2段積みの奥壁です。
巨石になるほど高度な技術を要するため、奥壁を見ると、築造されたおおよその時代も掴めるといいます。
最後は、里山センターの裏にある奥ノ塚古墳(里山センターの敷地を通る場所にあるため、見学の際は受付に声をかけてください)。こちらは、ほぼ一枚岩の奥壁で、時代がかなり新しいことが分かります。
奥壁を見比べるだけで感じる、3世紀にわたるダイナミックな古墳の変化。より大きな石を積み権力を示そうとした古代人の思いが伝わってくるようです。後編では、金蔵山古墳や二股古墳とともに、魅力ある古墳を紹介しますので、お楽しみに。