日本遺産「桃太郎伝説」岡山(前編) ~古代吉備、巨大古墳群に見る桃太郎伝説の背景~

日本遺産「桃太郎伝説」岡山(前編) ~古代吉備、巨大古墳群に見る桃太郎伝説の背景~
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歴史・文化 日本遺産

吉備には大和と並ぶ規模の古墳が実在します。
巨大な古墳があったとは相当な権力者がいた証明になります。

吉備出身の女性と天皇が婚姻関係を結んでいる事例が複数あり、吉備は単なる地方豪族ではなく天皇と親戚関係だった史実があります。
吉備は出雲・九州・四国と、大和は東日本と交流があり、ともに倭国(日本)を治め二頭政治を展開していた説もありました。

いっぽうで吉備の政治力と鉄資源や海上交通などの経済力は大和にとっても脅威であり、無視できない存在でもありました。
大和王権の中央集権化のため強力な半独立勢力であった吉備が政治的、軍事的に制圧解体された説もあり、吉備(鬼)を大和(桃太郎)が退治をした物語と一致します。

それでは桃太郎伝説の舞台となる吉備周辺にある古墳群、遺跡を見ていきましょう。

掲載日:2026年1月26日

古墳群に見る古代吉備の勢力

吉備は大きな勢力を持ちながら、なぜその存在がクローズアップされなかったのでしょうか。
吉備と大和の二頭政治で倭国を治めたとされる新倭国論が世に知られなかったわけは、奈良時代に編纂された「日本書紀」で消されたからのようです。
藤原不比等は唐・新羅連合の侵略を恐れ、対抗策の一つとして「日本書紀」で強固なイメージとして二頭政治ではなく、天皇系譜一本化を記しました。
岡山「桃太郎伝説」前編では、岡山県内に残る古墳群や遺跡を巡りながら、語られなかった吉備の歴史をたどっていきます。

造山古墳

古墳時代に入ると大型古墳が次々と築かれ、5世紀初頭には墳長約350mの造山古墳が出現します。
同時期の大和王権の大王墓(墳長約365m)と同規模です。
社殿傍らには石棺が置かれており、熊本県産の凝灰石をくり抜き、作り方は九州的ですが、形状は大和王権の石棺を真似ています。


千足古墳(せんぞくこふん)

墳長約81m、後円部径約63m、同高さ7.4m以上、前方部長約25mからなる前方後円墳。前方部が短いため帆立貝形古墳とも呼ばれます。
造山古墳の南に築かれた陪塚(ばいちょう)のひとつ。陪塚とは古墳時代に主墳の周りに計画的に造られた小型の古墳で、親族や家臣、あるいは副葬品を埋納するために存在しました。
副葬品とともに横穴式石室の石障の仕切り石には直弧文が施されています。
石室全体の形は九州北部、石障やドーム構造は九州中部の影響を受け、石室に使われている安山岩は香川県産と西日本全域が関わる文化交流がみられ吉備勢力の強さが感じ取れます。
埴輪を並べた墳丘部に登ることができ、石室内部も見学できます。

作山古墳

全国第10位、岡山県下第2位の規模を誇る前方後円墳です。築造当時は5千本以上の埴輪が並べられ、斜面には石が敷き詰められていました。
2025年9月1日、史跡作山古墳の発掘調査が開始されました。期間は令和7年〜12年度までの6年間の予定です。正確な規模や形状の確認、埴輪や葺石(ふきいし)外表状況などを明らかにしていきます。

浦間茶臼山古墳

墳長約138m、後円部径約80m、後円部高約14m、前方部長約60mの前方後円墳です。
吉備最古の大型前方後円墳で、2024年に日本遺産の構成文化財に追加認定されました。
浦間茶臼山古墳は前方部が三味線のバチのように広がる形をしています。これは奈良県、箸墓古墳に代表される最古型式の前方後円墳の特徴です(箸墓古墳は卑弥呼の墓ではないかとする学説があります)。箸墓古墳の1/2の相似形をしていることから、大和政権の成立にかかわった王墓といえます。
この古墳の周辺には後続する有力な墳墓が見つかっておらず、謎の多い古墳です。

大和の大王墓と同じ規模の古墳群が見つかっている吉備。
いくつもの巨大な古墳が今も残されていること自体が、古代から文化が根づき、大きな力を誇る勢力がこの地にあったことを静かに伝えています。
吉備と大和の巨大勢力を、温羅(鬼)と吉備津彦命(桃太郎)に置き換えるならば、桃太郎伝説について謎解きのヒントになるでしょう。
後編では「もうひとつの桃太郎と鬼、温羅(うら)のものがたり」と題し、桃太郎伝説ゆかりの地を巡ります。

桃太郎伝説「やっと出会えた、桃太郎」日本遺産桃太郎ポータブルサイトもご覧ください。

岡山市公式観光情報 OKAYAMA KANKO.net